2006年03月07日

不登校を克服しての道のり

卒業式5日に次男の高校の卒業式があり、午後には盛大が謝恩会も開かれて、無事卒業です。4月から大学3年の長男、そして音大に入学する次男と、まだまだ親業が終了というわけにはいきませんが、あとは自分たちが決めて進むだけ。親は学費の工面と、折を見てのアドバイス程度しかすることはできません。入学式や卒業式という節目の場面にも、もう立ち会うことはないでしょう。無我夢中で走ってきた子育てですが、「一区切りついた」という思いが強く、少し気が抜けています。

このブログでも度々書いてきた、次男のコーラス部のコンクールのことや、音大受験の話題ですが、皆さんきっと親ばかだと思われたでしょうね。でも、次男の進路については、中学時代にさかのぼっての、いろいろな事情があったため、思い入れもひとしおなのです。

中学での不登校
実は、次男は中学2年の後半から中3になる直前まで、不登校でした。成績もよくて、クラス委員も務めるまじめな子だったのですが、それがかえってあだになったようで、クラス崩壊を起こして授業もあまり成り立たず、ぐちゃぐちゃになっていた教室の中で疎外感を感じ、クラス委員としてクラスをまとめられないことに責任を感じて行き詰ってしまったのが原因のようでした(とはいえ、そのことは、かなり後になってからわかったのですけれど。本人は体調不良を訴えるだけで、貝のように黙ったままでしたから)。



友の力で学校に復帰
足しげく家に顔を出してくれる友人の力もあって、中2の3学期の終業式の終わったあとで、自分で教室に置いてある荷物を取りに行ったのをきっかけに、中3の1学期からは普通に登校できるようになってくれたのですが、彼の心はまだまだ不安定なのがよくわかりました。

中学3年の合唱コンクール
そんな折に、中3のイベントの一つである、校内の合唱コンクールが開かれ、私も仕事を抜け出して聴きにいきました。小学校からサッカーを続けていて、中学でもサッカー部だったので、合唱とは縁遠いところにいたはずなのに、ずいぶん練習熱心だなとは感じていたのですが、コンクール当日に舞台で歌う様子を見て、本人の歌への真摯な様子や、あんなにバラバラだったクラスメイトがまじめに歌う様子を見て、私は感激のあまり涙が止まらず…。私自身が高校時代にコーラス部だったこともあり、そのときにピンとひらめいたのが、「この子はきっと歌うことが向いている。それもみんなで心を一つにして歌うコーラスなら、なおさら」ということだったのです。

その日、再び職場に戻った後で、最初にしたことは、近年の合唱コンクールで優秀な成績を残している混声合唱の高校コーラス部はどこかを調べることでした。そんな中で、それまで名前すら知らなかった、埼玉県の高校がかなり優秀らしく、しかも男声が多いこと、自宅から1時間半以上かかってしまうけれど、なんとか通えそうなことを発見しました。

休んでいる間も自分で勉強はしていたので、成績のことは心配なかったものの、高校受験を考えるときに一番心配だったのは、まじめすぎてどこか心の弱い部分を持っている次男の性格にあう高校はあるのだろうかということ。何かに一生懸命打ち込むことがかっこ悪いと思うような風潮の中に入っていったら、きっとまたつぶれてしまうのではないかと。

埼玉の高校との出会い
「高校に入ったら、コーラス部に入ってみたら?」という提案にまんざらでもない様子だったものの、次男は学費のかかることを気にしていたようで、近隣の県立高校の中でコーラス部のあるところに進学できればいいと考えているようでした。でも、いざその高校に一緒に見学に行ってみても、あまり浮かない顔で私の不安は高まるばかり。

「混声合唱でかなり力のある高校があるらしいけれど、見学に行ってみない?」と息子を誘い、最初に調べた埼玉の高校に見学に行ったのは秋も深まってからでした。最寄の駅からも遠く、畑の中を20〜25分も歩いてようやく到着した高校に、「これはきっと通うのがいやだと思っているだろうな」と内心考えていたのに、当の本人はかなり気に入った様子。応対してくださった先生方の真摯な様子や、学校紹介のビデオなどに心を動かされたようでした。

受験資格がない!
ところが、入試以前に最大の難関が待ち構えていたのです。「中学3年間の欠席日数が15日以内でないものは、受験資格を与えない」という学校規定。学校推薦はもちろんのこと、一般入試も受け付けてくれないという説明に真っ暗になりつつも、入試相談の窓口に行き、意を決して事情を説明しました。

「中2のころにこういう事情で不登校だったことがあるが、今は復帰して毎日学校に行っていること。この学校を調べた理由のこと。どうしてもコーラス部に入りたいこと。学校説明を聞いて、ますますこの学校に入りたいと思ったこと。今の成績は決して悪くないこと…」

黙って聞いていた教務主任の先生は、「よくわかりました。では、2学期の終業式が終わった翌日に、成績表と中学の校長先生の推薦状、担任の先生にこれまでの事情を書いてもらったものを持参して両親と本人の3人で学校に来てください。そのときにもう一度相談にのりましょう」と答えてくださいました。

雪の日に親子3人で…
そうして、12月の雪の降る日に親子3人で高校に向かい、再び事情を説明し、入学への思いを話し、そこでようやく「特例ということで、1月の推薦入試を受けることを許可しましょう」とのお返事をいただくことができたのです。

入試を終え、無事に合格通知をもらうことができ、4月の入学式の翌日にコーラス部の部室を自ら訪ねた次男でしたが、コーラス部員として歌うことに精進することまでは予測できたものの、それが音大にまでつながるとはね。

しかも、まじめな子ゆえに勉強もよくがんばったので、期末試験の平均点が97点だったり(自慢じゃないですよ。親の私もびっくりしているだけ)。そんな様子を見ると、学校の先生も父親も音大なんて…と反対するわけで、私一人が「やりたいことを見つけた子から、夢を奪っちゃいけない」と音大受験を応援していた日々もあったのです。

すべてのことに感謝
そんなこんなで、ここまでの道はいろいろありました。でも、あの日、私がコーラス部のことを思いつかなかったらと、やっぱり思うんです。だからそのことに気づかせてくれた、あの日の合唱コンクールに感謝。神様に感謝。受け入れてくださった高校に感謝。高校の先輩たちや仲間たちに心からの感謝。そして何より一生懸命にがんばった次男に感謝…

本当はこれが始まり
高校入学後は順風満帆だったかというと、実はそうでもありません。始発で出かけ(誰よりも早く部室に行って準備をするために)、22時前に帰宅する日々。土曜も日曜もなく、全力どころか150%の力を出してしまう次男は、高2の秋ごろに突然ぜんまいが切れたように昏々と眠り続け、何かを話しかけても貝のようになってしまいました。やがて、数日して体力と気力が回復すると、また150%の日々が戻るのですが、何ヶ月かの周期で今もぜんまいが切れてしまうことがあります。

そのたびに先輩や友人に支えられて、励まされてがんばってきたけれど、これからはほどほどにすることを覚えていかないと、結局つぶれてしまい、誰も助けてもらえません。まだまだ、壁にぶつかることも多いでしょうけれど、なんとか克服して生きていってほしいなと願っています。

これまで、何度となく書いてきた息子の話もこれでおしまいにしましょう。ちょっと私も今は気が抜けていますが、家族のことに気を配りつつも、仕事に全力投球してさらなる道を開拓して歩いていきたいなと思います。

本当に長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます!

kyoko0707k at 02:37│Comments(10)TrackBack(0) つれづれなるままに 

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この記事へのコメント

1. Posted by ゲンガー   2006年03月07日 10:21
そういうことならば感慨一入ですね。
sallyさんが真剣に生きているのを間近に見てご子息も考えることがあったのだと思います。「子は親の背を見て育つ」といいますから。私もsallyさんの背中を見て育っていきたいです。

今は四足の草鞋を履いているようですが、ご自愛なさってください。私の母が言うには、男の子は嫁をもらうまでは子育て中なんだそうです…
2. Posted by moran   2006年03月07日 15:40
不登校にはさまざまな理由があると思いますが、そういう時期は子供だけでなく、大人にだってあるし、人は、何事もなくスムーズに歩むことなんてできないことがわかる。
私は30すぎてさらにひしひしわかるようになりました。とにもかくにも、新しい門出を祝福いたします。そして影となり日向となったあたたかいご両親がいて本当に幸せね!大切にね!! と、ご子息に申し上げたいです。
3. Posted by とおりすがり   2006年03月07日 15:44
素敵な高校にめぐり合えましたね。
もちろんご本人とご家族の努力もそうですが、
何よりなんて素敵な高校なのだろうと
じーんと感動してしまいました。
しかしご子息には少し不安です。
音大に行ってそれが直接仕事となる人は
学年に数人しかいない、と聞きます。
もちろん皆自分のやりたいことの延長上にあるものを
見つけてそちらで人生をステップアップしていくものですが
まじめなご子息は自分を責めてしまうのでは・・・
と赤の他人がでしゃばりすぎですが・・・
勉強や学校の事はもちろん親として心行くまで頑張ってほしい。
その事だけに集中して欲しい、と思いますが、
もう少し家のお手伝いや料理、洗濯掃除などを
やらせてみてはどうでしょうか。
そうする事によって自立心や、自立力がついていくと思います。
結婚するまで子育て、という感じでは
結婚した後もお嫁さんに苦労かけますしね。
4. Posted by mari   2006年03月07日 19:50
こんにちは。ご次男のお話、読ませていただきました。
我が家のチビはまだ就学前ですので、母親業の先輩としてのsallyさんに「お疲れ様でした」と心から申し上げたいです。
息子さんは実力勝負の世界に入られたので、今までより一層個性豊かな人間関係の中に身を置くことになると思いますが、それもまた楽しいと思います。あまりにもいろいろな人間がいるので、びっくりして楽になるかも(笑)。
実り多い出会いが沢山あるといいですね!
5. Posted by sally   2006年03月08日 13:03
☆ゲンガーさん

温かいお言葉ありがとうございます。
男の子の子育ては結婚するまで続く…あらあら、それは大変。まずは私自身の子離れから始めないといけないのかも(苦笑)
よーし、これからますます仕事を頑張るぞ!って思っているのですが、気力はあっても体力が追いつかなくなってきているので、自分の健康を過信しないで、少しは余裕を持って歩んでいきます。
私の背中なんてちっぽけだけれど、せめて凛として胸を張って生きていることを息子たちに見せられるように。
6. Posted by sally   2006年03月08日 13:15
☆moranさん

誰にも立ち止まってしまうときというのがある…そんなふうに言ってもらえると心がとても楽になります。立ち止まって考えたとき、つまり充電中なんだと思うのですが、この期間に得られたものも、きっとあったはずだと。
コメント、ありがとうございました!オフ会の相談、具体化させましょうね。
7. Posted by sally   2006年03月08日 20:20
☆通りすがりさん

温かく、愛にあふれたコメントをありがとうございます。
音大に進んでからのこれからが本当の試練だと思いますが、自分で見つけた道なので、たとえ声楽家として大成できなくても、音楽を学んでいく中での出会いや出来事を通じて、必ずや進むべき道を見つけて生き生きと歩んでいくはずだと信じています。
自立の精神…これについてもおっしゃるとおり。料理をはじめ、何でもできる子ですが、150%の毎日を見ていると、これまではどうしても甘やかしがちだったと思います。
子育て終了はまだ先ですね。

8. Posted by sally   2006年03月08日 20:43
☆mariさん

いつもありがとうございます。こういう事情がありまして、この5年、泣き笑いの日々でした。でもね、決して辛かったわけでも大変だったわけでもなくて、「だから子育てはおもしろい」そう思って過ごしてきました。

私の机の前の壁に相田みつをさんの言葉が書かれたカードが張ってあります。
『育てたように子は育つ』
自戒と反省とを繰り返しつつ。だからこそ、世の中すべての人が見放したとしても、親は最後まで我が子を信じて応援したいと思いつつ。
mariさんの母校で実りある日々を送れますように。
ありがとうございました。
9. Posted by OYAZI   2006年03月11日 15:40
sallyさん、こん★☆は♪

進路もきまり、無事に卒業。
あらためて、おめでとうございます。
今が一番楽しくて、期待に胸膨らむ時期なんでしょうね!
苦難に打ち勝った経験は、きっと社会に出ても役に立つと思います。
親として将来が楽しみですね。

OYAZIも相田みつをさん、好きです!
10. Posted by sally   2006年03月13日 00:48
☆OYAZIさん、ようこそ!

>苦難に打ち勝った経験は、きっと社会に出ても役に立つと思います。
親として将来が楽しみですね。

ありがとうございます。つい最近も不登校だったことのある中学生の男の子の事件が報道されていましたね。ああいうニュースを聞くたびに、心を痛めずにはいられませんし、他人事ではないと思います。

次男に後から言われました。「普通の親じゃなくてよかったよ」と。普通って?と聞くと、「学校に行くように説得したのは最初の1週間で、後は『早寝早起き』の約束だけして、ほうっておいてくれたから。いつもと同じように忙しそうに仕事をしていてくれたから」と。

あの不登校の期間に、次男と共有した本がいっぱいあって、それが私には宝物なんです。今のこの日があることに、心から感謝している私です。

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